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うつ病医療の変遷と今後の課題-半世紀の臨床から見えてきたもの-
六番町カンファレンス 講演レポート
● 開催日:2025年10月24日(金)
● 講師:樋口輝彦(一般社団法人日本うつ病センター 名誉理事長/国立精神・神経医療研究センター 名誉理事長)
うつ病の治療は、症状を軽くすることだけでは終わりません。なぜこの状態になったのかを振り返り、再発を防ぎながら、その人に合った働き方や生活を取り戻していくことも大切です。樋口医師の講演では、半世紀にわたるうつ病医療の進歩をたどりつつ、薬物療法、精神療法、リワーク、地域支援までを含めて、患者さん一人ひとりを支える医療のあり方が語られました。診断名だけでは捉えきれない多様な「うつ」に向き合い、その人の生活全体を見ながら治療を考えることの重要性が伝わる講演です。
うつ病医療の変遷と今後の課題-半世紀の臨床から見えてきたもの-
樋口医師は、医学部卒業後50年以上にわたり、うつ病を中心とする精神科医療の変化を見続けてきた。本講演では、その半世紀を振り返りながら、日本のうつ病医療がどのように変わってきたのか、そして今後どこへ向かうべきなのかが語られた。
講演を貫く大きな流れは明快である。かつてのうつ病医療は、診断・分類と薬物療法を中心とする比較的狭い領域から始まった。それが精神療法、再発予防、職場復帰、リカバリー、地域支援へと次第に広がり、現在では患者の生活全体を視野に入れる医療へと発展してきた。一方、その進歩の中でもなお、うつ病の病態そのものについては解明されていないことが多く、新たな突破口が求められている。
― 1960~70年代 うつ病が「治療できる病気」になった時代
樋口医師が精神科医になった1970年代初頭、精神医学では統合失調症の研究が大きな位置を占めていた。そうした中で、樋口医師はうつ病に関心を持ち、この領域を専門として歩み始めた。
1960~70年代は、うつ病医療にとって重要な転換期であった。
第一に、うつ病の臨床像を精緻に捉えようとする精神病理学的研究と病型分類が盛んであった。1975年に発表された笠原・木村分類はその代表である。この分類は、症状だけで単純に分類するのではなく、病前性格、発病状況、病像、治療への反応、経過などを総合して患者を理解しようとするものであった。
樋口医師は、当時この分類に接した際、実際の臨床症例を細かく観察したうえで作られた、非常に臨床的に役立つ分類だと強い印象を受けたという。
また、1977年には広瀬徹也による「逃避型抑うつ」が提唱された。従来の典型的なメランコリー型の患者像とは異なるうつ状態を捉えようとするもので、その後「現代型うつ病」などをめぐる議論へとつながっていった。
第二の大きな変化は、抗うつ薬の登場である。それ以前にも電気けいれん療法(ECT)は存在したが、薬物によってうつ病を治療できるようになったことのインパクトは大きかった。イミプラミンをはじめとする三環系抗うつ薬の登場により、うつ病は臨床の場で積極的に治療する疾患へと変わっていった。
さらに日本では、高橋良によるセロトニン仮説など、生物学的な病態解明への期待も高まっていた。1970年代末には、「躁うつ病という島が海の中にはっきり見えてきた。近いうちにその正体がつかめるのではないか」と考えられるほど、研究の進歩への期待があったという。
ところが約10年後、高橋自身が「まだ決定的なブレイクスルーがない」と述べたというエピソードを樋口医師は紹介した。うつ病は分かりそうでいて、なお容易にはその本質に到達できない病気だったのである。
― 1980~90年代 DSM-IIIと治療の多様化
次の大きな転換点が1980年のDSM-IIIである。
それまで日本の精神医学では、内因性、神経症性、反応性など、病因や病前性格、経過などを重視してうつ状態を分類してきた。しかしDSM-III以降、一定の症状の組み合わせによって診断する操作的診断が急速に普及する。
躁うつ病は双極性障害と大うつ病へと分けられ、従来「抑うつ神経症」と呼ばれていた患者の一部も大うつ病、気分変調性障害、適応障害などに再分類された。
この変化には診断の標準化という大きな意味があった一方、樋口医師は、それまで盛んであった病型分類や精神病理学への関心が薄れ、治療の側へ重点が移っていったと振り返る。
― SSRIが変えた薬物療法
薬物療法ではSSRIやSNRIなどの新しい抗うつ薬が登場した。
三環系抗うつ薬では抗コリン性副作用などのため十分量まで増量できず、少量の薬剤を複数併用せざるを得ないことも少なくなかった。SSRIは副作用が比較的少なく、患者にとって服用しやすく、医師にとっても十分な量を使用しやすいという利点があった。
また、精神科医だけでなくプライマリケア医も抗うつ薬を使用しやすくなり、うつ病治療へのアクセスを広げたという意味でも重要であった。
しかし、使いやすいからこその問題もある。安易な処方やベンゾジアゼピンとの併用が広がる可能性、SSRIやSNRI相互の効果の違いが必ずしも明瞭ではないことなどである。
そして、さらに本質的な課題も明らかになった。三環系抗うつ薬からSSRI・SNRIまで、長くモノアミン仮説を基本として薬物開発が行われてきたにもかかわらず、それだけでは十分に治療できない患者が存在する。うつ病は単一の病態ではなく、極めて異質性の高い症候群ではないかという認識が次第に強くなっていった。
― 精神療法の発展
1980~90年代は精神療法が大きく発展した時代でもある。
日本では笠原嘉による「小精神療法」が臨床に大きな影響を与えた。患者に休養の必要性を説明し、治療への見通しを示し、回復を焦らせないという考え方は、その後のうつ病診療に深く根づいている。この「小精神療法」は休養を勧めるだけの方法ではなく、患者を一人の人間として捉え、受容的に関わりながら長い経過につきあうという、治療者の基本姿勢そのものを含んでいた。
一方、海外ではAaron Beckによる認知療法、対人関係療法などが発展し、さらに力動的精神療法やマインドフルネスなど、多様な治療法が用いられるようになった。
薬物療法と支持的な精神療法だけでは十分に改善しない患者がいる。そこから、患者の認知、対人関係、生き方そのものに働きかける治療の必要性が明確になっていった。
樋口医師は、国立精神・神経医療研究センター(NCNP)総長時代、精神医学固有の治療法を研究・教育する拠点が必要だと考え、2011年に認知行動療法センターを設立した経緯についても紹介した。
― 2000年代以降 「症状を治す」から「生活を取り戻す」へ
2000年代以降、うつ病医療の裾野はさらに大きく広がった。
重要なのは、治療の目標が単に抑うつ症状を改善することだけではなくなったことである。
再発予防、職場復帰、社会復帰、そしてリカバリーという視点が治療の中に組み込まれるようになった。
その代表がリワークプログラムである。うつ病の患者が症状の改善後すぐに元の職場へ戻るのではなく、復職に必要な生活リズム、認知機能、ストレス対処、対人技能などを段階的に回復させる。現在では、うつ病からの職場復帰を考える上で重要な仕組みへと成長している。
2004年には日本うつ病学会が設立された。精神科医だけの学会ではなく、基礎研究者、プライマリケア医、産業医、保健師、心理職、精神保健福祉士など、うつ病に関わる多職種が議論できる場を作ることが設立時から重視されたという。
これもまた、うつ病医療が診察室の中だけで完結するものではなくなったことを象徴している。
それでも「治療につながっていない人」が多い。
医療が進歩した一方で、大きな課題も残る。
地域住民を対象とした疫学調査では、うつ病を経験した人が医療機関を受診する割合は以前より増加している。しかし、樋口医師が示したデータでは、それでも受診している人は4割程度にとどまる。
すなわち、うつ病になっても医療につながっていない人が、なお多数存在する。
そのため、市民への啓発、早期発見・早期治療は引き続き重要である。下記の図は、2010年に日本うつ病学会などが発表した「うつ病対策の総合的提言」の一部である。図の中の赤字は樋口医師が付け加えたもので、この提言から10数年たった時点(2024)でどこまで実現できたかについて追記したものである。

学校教育でも変化が起きている。2022年度から高校の保健体育で精神疾患の予防と回復が扱われるようになったことは大きな前進である。一方、学校におけるハイリスク群への対応や予防プログラム、さらに教員自身のメンタルヘルスと病気休職の増加など、新しい課題も生じている。
地域精神医療においても、認知症では地域包括ケアが発展してきたが、精神疾患については十分とはいえない。
また、公認心理師が国家資格化されたにもかかわらず、医療機関で心理専門職が十分に活動できる診療報酬上の基盤が整っていない点も、今後解決すべき問題として挙げられた。
― これからのうつ病医療 ~「うつ病」という一つの名前の先へ
最後に樋口医師は、これからの研究と医療の方向性を示した。
下記の図は、日本うつ病学会が中心となり「うつ病克服のための10カ年計画」を2010年に作成した中でまとめとして掲載されたものである。
うつ病はいまや、単一の疾患というより多様な病態から構成される症候群として捉える必要がある。その中からどのように意味のあるサブタイプを見いだすかが重要になる。
画像研究、分子生物学、遺伝学などを用いた病態研究に加え、近年ではAIを用いた診断研究も始まっている。こうした新しい方法によって、一見同じ「うつ病」に見える患者を病態に基づいて分類し、それぞれに適した治療を選択できる可能性がある。
薬物療法についても、モノアミン仮説を超える新たな治療原理の発見が求められている。
一方で、未来のうつ病医療は生物学だけへ進むわけではない。精神療法のエビデンスをさらに確立するとともに、ソーシャルサポート、職場復帰、地域支援、リカバリーといった方向もますます重要になる。
つまり今後必要なのは、病態をより深く理解する方向と、その人の生活全体をより広く支える方向の双方を発展させることである。
― おわりに
樋口医師が振り返った半世紀の歴史からは、うつ病医療が大きく進歩してきたことが分かる。
抗うつ薬が登場し、診断基準が整備され、精神療法が発展し、リワークやリカバリーという考え方が加わった。治療は「症状を軽くすること」から「再びその人らしい生活を取り戻すこと」へと広がってきた。
しかし同時に、50年前に期待されたほど、うつ病そのものの正体が解明されたわけではない。
「島は見えている。しかし、まだ上陸できていない。」
樋口医師が紹介した先達の言葉は、現在のうつ病研究にも通じる。だからこそ、これまでの成果を踏まえつつ、新しい生物学的研究、精神療法、地域・社会的支援を組み合わせながら、次の10年のブレイクスルーを目指す必要がある――それが本講演の最後に示された展望であった。
ポイント
- 1960~70年代には、臨床観察に基づく病型分類と抗うつ薬の登場によって、うつ病医療の基盤が作られた。
- DSM-III以降、診断は標準化された一方、従来の精神病理学的・病型論的な見方は後退した。
- SSRIなどの登場で薬物療法は使いやすくなったが、モノアミン仮説だけでは説明・治療できないうつ病が残っている。
- 認知行動療法、対人関係療法など、薬物療法以外の治療選択肢が大きく発展した。
- 2000年代以降は、再発予防、リワーク、リカバリーなど、患者の社会生活まで含めた治療へと領域が拡大した。
- うつ病になっても医療機関を受診していない人は依然として多く、啓発と早期受診の促進が必要である。
- 学校、職場、地域での支援、心理職の活用など、医療制度・社会システム上の課題も残っている。
- 今後は画像・分子生物学・遺伝学・AIなどによって、異質な「うつ病」を病態に基づいて分類することが重要になる。
- 同時に、精神療法、ソーシャルサポート、リカバリーを発展させ、「病気を治す」ことと「その人の生活を支える」ことの両方を進める必要がある。
質疑から
講演後の質疑では、うつ病は一つの疾患なのか、退行期メランコリーをどう捉えるか、日本独自のリワークの意義、そしてうつ病の生物学的研究の位置づけなど、講演本体をさらに掘り下げる議論が行われた。
- 「うつ病」は一つの病気なのか
最初の質疑では、現在「うつ病」と呼ばれているものが、本当に一つの病気なのかという根本的な問題が取り上げられた。
かつては内因性うつ病、反応性うつ病、神経症性うつ病など、さまざまな分類が用いられていた。現在でも定型・非定型など、異なる臨床像が知られている。そこで、これらは一つのうつ病がさまざまな原因によって異なる形で現れているのか、それとも本来別々の疾患なのか、という問いが出された。
樋口医師は、「抑うつ」という症状そのものは多くの異なる原因から生じうると考えており、現在、DSMの大きな枠組みの中で「うつ病」とされているものも、将来的には複数の疾患群に分かれていく可能性が高いと述べた。
その分け方が遺伝子によるものなのか、画像、分子生物学など別の方法によるものなのかはまだ分からない。しかし、原因は少なくとも複数存在し、表面に現れる抑うつ症状だけからはそれらを区別できないのではないか、という考えである。
これは講演本体で述べられた、「うつ病は一つの疾患というより症候群である」という見方を、さらに明確にした回答であった。
- 退行期メランコリーには独自の病態があるのか
続いて、かつて用いられていた「退行期メランコリー(involutional melancholia)」について質問があった。
高齢期に初めて発症し、妄想を伴うなど、若年期の典型的なうつ病とは異なる特徴を示す一群を、独立した病態と考えるべきかという問題である。
樋口医師は、自身の臨床経験から、若い頃に躁うつ病や抑うつ状態、不安などの既往がほとんどないまま、60~70歳代になって初めて発症し、妄想的な要素を伴うなど、通常の抑うつとは少し異なる病像を示す患者群を実際に経験してきたと述べた。
そのため、この年齢層に特有の何らかの変化が関係している可能性はあると考えているという。
ただし、それが原因論的にも独立した疾患であると断定できるだけの根拠はなく、現時点では臨床的な印象の域を出ないとも付け加えた。
古典的な病型概念が操作的診断によって姿を消した後も、実際の患者像の中にはなお無視しにくい差異が残っていることを示す議論であった。
- リワークは日本独自の治療文化なのか
次の質疑では、講演で強調されたリワークプログラムが取り上げられた。
日本では、うつ病によって休職した患者が一定期間治療を受けた後、元の職場への復帰を目標としてリワークプログラムに参加することが広く行われている。一方、「リワーク」という言葉自体が和製英語であり、この仕組みは日本独自のものなのではないかという質問である。
樋口医師は、リワークは、かなり日本の雇用制度や休職制度に特徴づけられた仕組みだと説明した。
海外では、日本のように長期間休職した後に同じ職場へ復帰するという制度そのものが一般的ではない国が少なくない。たとえば米国では、うつ病を契機にいったん職場を離れ、回復後は別の仕事へ移るという形が比較的多い。そのため、「元の職場に戻るためのリハビリテーション」としてのリワークが発展する制度的背景が乏しいという。
しかし樋口医師は、リワークの本質的な価値は、単に職場復帰の練習をすることだけではないと強調した。
「なぜ自分はうつ病になったのか」を振り返る
樋口医師がリワークで特に重要だと考えているのが、「振り返り」のプロセスである。
リワークでは、患者自身が自分の発症までの経過を振り返り、「なぜ自分はこのような状態になったのか」を考える。プログラムの終盤では、その内容をスタッフと共有し、話し合いながら整理していく。
この作業に相当の時間をかけることが、樋口医師には非常に重要に見えたという。
つまり、元の職場に戻るか、別の仕事に移るかという制度上の違いを超えて、発症に至った自分自身の働き方、考え方、ストレスとの付き合い方を理解するという部分には普遍的な価値がある。
その意味では、日本で発展したリワークの経験の中にも、海外へ発信できる要素があるのではないかという議論になった。
- うつ病の生物学的研究はどこまで進んだのか
最後の質疑では、講演では時間の関係で詳しく扱われなかった、うつ病の病態研究について質問があった。
1990年代以降、BDNFをはじめとする神経栄養因子の研究や、慢性ストレスによる神経系の変化など、うつ病を単なる「モノアミン不足」ではなく、神経可塑性やシナプスの変化という観点から理解しようとする研究が発展してきた。これらは、うつ病研究の歴史において一つの重要な転換点ではなかったか、という問いである。
樋口医師は、今回の講演では「うつ病の医療」に焦点を絞ったため研究史を省略したのであって、生物学的研究を軽視しているわけではないと説明した。
実際、うつ病研究にも臨床の歴史とは別に、この半世紀を通じた大きな発展があり、その中には重要な発見が多数存在する。BDNFやストレスに伴う神経系の変化も、その重要な成果であると評価した。
特に、それらの研究が将来的に、
● 新しい薬物療法
● ECTなど既存治療の作用機序の解明
● 新たな治療法の開発
へとつながれば、非常に大きな意味を持つと述べた。
つまり、これまでの生物学的研究は決して無駄ではなく、基礎研究で得られた知見を、いかに臨床的なブレイクスルーへ結びつけるかがこれからの課題である。
質疑を通して浮かび上がったこと
質疑応答では、講演本体に示された「半世紀の進歩」という歴史が、さらに二つの方向から掘り下げられた。
一つは、「うつ病」という診断名の内部に、実際にはどれほど多様な病態が存在するのかという問題である。古典的な病型論、退行期メランコリー、遺伝子・画像・分子生物学による将来の分類は、いずれもこの問題につながっている。
もう一つは、治療とは症状を軽くするだけではないという点である。リワークで自分の発症過程を振り返り、再発を防ぎ、その後の働き方や生き方を考えることもまた、うつ病治療の重要な一部である。
この二つを合わせると、これからのうつ病医療には、病態をより精密に理解する「研究の深化」と、患者一人ひとりの生活や人生まで視野に入れる「臨床の拡大」の双方が必要であることが、質疑を通して改めて浮かび上がった。
[参考]
講師の主な出版物(著書・共著・監修)
- 『気分障害』 新現代精神医学文庫
- 『うつ病への疑問に答える』 日本評論社
- 『精神科のくすりハンドブック 第3版』 監修、総合医学社








